
このたび寝具と言う、分野の違うものを扱うことになりました。
弊社は流通問屋ではなく、メーカー問屋という立場なので、
ほとんどの商品は仕入れではなく、自社で作っています。
(仕立など工場に依頼している部分もありますが)
またアパレルの会社とも繋がりが多々あり、
特殊素材を利用した着物や長襦袢を独自で開発しています。
(吸汗速乾 襦袢 さらら小町・光触媒での消臭効果がある色無地など)
そんな中で吸汗速乾 襦袢 さらら小町はその強い吸汗速乾力から駒絽襦袢など和装の分野だけでなく、もっと利用範囲が広がる素材ではないかと意見があり、
シーツを作る事に至りました。
さて、商品の概要ですが、
〇特徴
1.水分に触れたとたん、吸い取り肌に戻さない。
2.吸い取った水分が素早く広がり、空気中に放出。
3.吸汗速乾機能が長持ちする。
〇寸法
幅153cm×長さ240cm
〇素材
テイジンカルキュロ(ポリエステル 新素材 特殊繊維)
ということが上げられます。
なぜ、このシーツは吸汗速乾力があるか ですが、
この糸は2種類の繊維を組合わせて出来ています。
一つ目の種類の糸は芯部分を構成し、もう一種類はその周りに絡ませています。
周りに絡ませた繊維の特性はたくさんのみぞがあり、
触れた水分を強く引き込みます。
芯の部分の糸の特性は使い捨てのオムツのように吸い取った水を逃さず、
素早く広げ空気中に拡散します。
その吸水力は撥水加工されていないポリエステルの約3倍、
(撥水加工されているとほとんど吸水力はありません)
一般的な綿の約2倍というデータがあります。
このような特性から、
寝ている時、平均コップ1杯半の水分を汗として出す、
(寝る前・起きた時の水分が必要と言われますね)
その対策として、
また、被介護者の方など長時間使用される場合でもさらさらとした
肌触りが持続されるので対策としてお勧めしたいシーツです。
全く新しい分野でどれだけこの素材の特長を多くの方に知って頂けるか分かりませんが、
モニターの方々に喜んで頂けた事から、
一度ご使用頂けたら満足して頂けるものと確信しております。
(自分でも使用してとても気持ち良い!!です。
この時期気温が暑くなってきていますが清涼感があり寝苦しさもありません)
この項目の関連:
京都きもの工房
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着物まめ知識-写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく/東洲齋 寫樂/生没年不詳)は、
江戸時代の浮世絵師です。
寛政6年(1794年)に出版が開始された後、不思議な事に
確認されている錦絵作品は、約10ヶ月の期間内に集中し、
その後の消息は不明です。
当時は売れない画家だったと推測されます。
「あまりに真に描かんとてあらぬさまにかきなせしかば」と言われるように、
本来の目的であるプロマイド代りから大きく逸脱して、
肖像画の世界に入ったのが原因のようです。
確認されている中で、写楽の筆によるものと思われる作品の大首絵は、
大胆かつ巧みにデフォルメを駆使しながら、なおかつ
目の皺や鷲鼻、受け口など、その役者が持つ個性をありのままに描く役者絵です。
このことから、描かれた役者と役柄から写楽の実像を推測するべく検証がなされ、
これが現在の写楽説の主流になっています。
彼らが出演した芝居の上演時期があり、
これを元に役者絵の発表時期は4期に分けることができます。
しかし、後期に向かうほど作品における絵画的才能や版画としての品質が劣るため、
真偽に疑問が投げかけられているものが多くあります。
すべて蔦屋重三郎の店から出版されているのも特徴です。
(挿図の右下方に富士に蔦の「蔦屋」の印があります)。
第1期が寛政6年5月(28枚)、第2期が寛政6年7月・8月、
第3期が寛政6年11月・閏11月、第4期が寛政7年1月。
写楽の代表作とされるものは第1期の作品で、
後になるほど生彩を欠きます。
このほかに相撲絵などで、写楽銘の残るものもあります。
ドイツの美術研究家ユリウス・クルトが
レンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と
激賞したことがきっかけになり(”Sharaku” 1910年)
大正以降、日本でも評価が高まりました。
別人説 もあり、『江戸名所図会』などで知られる考証家・斎藤月岑が
写楽の本名は阿波(蜂須賀家)の能役者・斎藤十郎兵衛で、
八丁堀在住であると書き残したのことですが(『浮世絵類考』への加筆)、
十郎兵衛の実在はなかなか分かりませんでした。
そこで「写楽」とは誰か他の有名な絵師が何らかの事情により
使用した変名ではないかという「写楽別人説」が浮上しました。
蔦屋が無名の新人の作を多く出版したことの不思議、
短期間に活動をやめてしまったのは何故かなどということが
謎を生み、別人説の候補として
浮世絵師の歌川豊国、歌舞妓堂艶鏡、葛飾北斎、喜多川歌麿、
作家の十返舎一九、俳人の谷素外など、多くの人物の名が挙げられました。
その後、近年の研究によって実際に阿波の能役者・斎藤十郎兵衛が
八丁堀に住んでいたことが明らかになり、
写楽と斎藤十郎兵衛の関連性は高いと考えられるようになってきました。
その根拠は以下の点からです。
・同じく能役者の伝記『重修猿楽伝記』にも斎藤十郎兵衛の記載があること。
・能役者の公式名簿である『猿楽分限帖』に斎藤十郎兵衛の記載があること。
・埼玉県越谷市の浄土真宗本願寺派今日山法光寺の
過去帳(文政3年)に「八丁堀地蔵橋 阿州殿御内 斎藤十良(郎)兵衛」が
58歳で死に千住にて火葬に附されたとの記録があること。
・江戸の文化人名簿の『諸家人名江戸方角分』の八丁堀の項目に
「写楽斎 地蔵橋」との記録があること。
・浮世絵類考の写本の一つ(達磨屋伍一旧蔵本、 斎藤月岑の増補以前?)
には
「写楽は阿州の士にて 斎藤十郎兵衛といふよし栄松斎長喜老人の話なり」とあり、
栄松斎長喜は写楽と同じ蔦屋重三郎版元の浮世絵師であり、
写楽の事を知っていたとことが推測される
(長喜の作品「高島屋おひさ」には団扇に写楽の絵が描かれている)。
時代背景は、蔦屋が寛政6年に写楽の浮世絵を発刊しましたが、
今まで
「財産半減という処分を受けた後なので、蔦屋が浮世絵で大儲けを狙った」
といった解説が一般的に流布されていますが、
専門家の研究によれば蔦屋の扱っていた商品は
『投機的なリスクを伴う分野のものは一点も見当たらず』
『蔦重は定番商品の出版権を握ったうえで堅実すぎるほどの商売をしてきた』
との評価のようです。
また、当時の浮世絵版画は安価なもの
(16文、当時の約蕎麦一杯の値段)で、
一度に大きな利益を得られる商品ではありませんでした。
葛飾北斎も、この時期(寛政6年頃)まだ彼は「北斎」を名乗ってはおらず
「春朗」「宗理」の名前で活躍していました。
また、文化年間の一時期には「可候」の号を使用しています。
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新商品の紹介-正絹男物額裏 浮世絵 写楽
商品ときものQ&A
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新商品の紹介-正絹男物額裏 浮世絵 写楽

新しく正絹の額裏を染めました。
男物の羽織の裏を粋に演出したい時に
強い味方になってくれるでしょう。
品質はブランドの正絹生地(もちろん国内生地)を使い、
手ぼかしと型染を京都の職人さんが行っております。
生地の寸法は
生地巾:84cm
生地長さ:2.45m
4色よりお選びいただけます。
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浮世絵 男襦袢
着物の用語-額裏/がくうら
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